記事によると
- 2012年8月11日 吉田昌郎前所長が当時の状況や心境を語るビデオ映像が福島市で開かれた出版社主催の講演会で上映された
- 話した内容
- 原発1、3、4号機で起きた水素爆発について「当初、安否確認できないのが数十人いて、10人くらい死んだかもしれないと思った」
- 3号機の水素爆発に関しては「あれだけ(大量)のがれきが(吉田氏らがいた)免震重要棟に飛んできて、自分も仲間も死ぬ、死んだっておかしくない状態だった」
- 撤退問題については「(東電)本店に『撤退』とはひと言も言っていないし、思ってもいなかった」
- 「われわれが離れて(炉心冷却の)注水ができなくなれば、もっとひどい放射能漏れになる。何とか安定していた5、6号機も燃料が溶け、もっと放射能が出ていた。そうなると第2原発にも人が近づけなくなり、大惨事になっていた」
- 「現場に行ってヘロヘロになって戻り、睡眠も食事も不十分な中でまた現場に出向いた。最後まで残って闘ったのはどんな人たちか残しておきたかった」
- 「事故調を通すと肉声がなかなか届かない。今後はいろいろな形で発信し、経験を伝えていきたい」
撤退に関しては当初、
- 現場に最小限の人間を残して、他は避難させる方針だった
- 東電本社に問い合わせたら、政府から撤退はありえないと言われた
- 免震重要棟に作業員を集めて、作業を行ってくれるか意思確認を行った
当初から冷却作業を行うつもりは無く、経過観察の人数だけ残して作業員を避難させる方針だったはず。
また、作業員の意思確認で人数がそろわなかったら、冷却作業も不可能だったはず。
原発の事故の封じ込めで多大な貢献をされた方なのでいまさら、繕わずに正直に当時の事を話して欲しい。
記事
福島第1・吉田前所長「死覚悟」 ビデオで心境語る 福島 河北新報社
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